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「高槻市」||性病-LINK.com [05/26update]

高槻市 wikipedia|無料辞書

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|特記事項=市外局番:072(市内全域)
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高槻市(たかつきし)は、大阪府北部の東大阪市とともに中核市に指定されている。「水とみどりの生活文化都市」がキャッチフレーズ。
政令指定都市である大阪市京都市とのちょうど中間に位置し、北摂ベッドタウンとして発展している。市章も、京都市と大阪市の市章を融合させたデザインとなっている([外部リンク]http://www.city.takatsuki.osaka.jp/db/profile/db3-hana.html)。また、市章は街区表示板にも描かれている。

◆地理
市域は東西に狭く、南北に広い。山間から芥川が市内中央部を流れる。また、芥川の支流に女瀬川(にょぜがわ)がある。
北部は北摂山地になる。主な山には、ポンポン山、三好山(みよしやま)、黒柄岳(くろがらだけ)、明神ヶ岳(みょうじんがだけ)、高ヶ尾山(たかおさん)、阿武山(あぶやま)がある。市域の3分の1は山林で占められる。

◆歴史
明治以降の行政区域の変遷については別項を参照のこと。
古代は摂津国嶋上郡にあたる。日本でも有数の古墳群地帯で、真の継体天皇陵とされる今城塚古墳など古墳時代初期から末期までの各時代の古墳が現存している。新池遺跡(史跡今城塚古墳附新池埴輪製作遺跡)は日本最古(5〜6世紀)最大級の埴輪工場で新池遺跡ハニワ公園として保存・公開されている。
室町時代には、富田が一向宗(浄土真宗)北摂布教の拠点として栄える。この頃の史料には「高槻」の地名が見られる。
戦国時代には、三好長慶高山右近が拠点とする。
安土桃山時代には、高槻領主高山右近がキリシタン大名だった影響でキリスト教が広がり、日本で最初の復活祭がいとなまれた。
江戸時代には山陽道の流れをくむ西国街道参勤交代などに利用され、芥川宿は六宿駅の一つとして栄える。富田は8,000石余りを醸造する酒蔵として栄える(高槻藩を参照)。富田は酒所として栄えた。
明治時代には隠れキリシタンの里として発展した。
昭和40年代から50年代前半にかけて、大阪市及び京都市のベッドタウンとして宅地開発が進み人口が急増、1975年には30万人の大台に到達した。その後も順調に増加を続け、1995年には362,270人と統計上過去最高を記録した。しかしその後少子高齢化の進展や都心回帰などの影響により人口は減少に転じ、2005年には351,802人となった。ただ大阪府の調査・推計では2004年初頭を境として高槻市の人口動態は社会減から社会増に転じており、依然続く自然増と併せて人口動態そのものは年々改善している。これはJR高槻駅周辺の再開発によって市中心部の商業機能が向上し、市内の生活がより便利になったため周辺地区からの流入が増えたことが理由と見られる。

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なお市内の人口動態については、主に居住用のマンション建設が相次いでいる摂津富田駅、高槻駅周辺では増加、市北部の山際に広がる団地群や市南部の淀川近くに広がる旧来の市街地においては減少という形になっている。市への流入者は多くが近畿圏内から来るが、近年は東京など首都圏からの移住も見られるようになった。

◆ 行政

◇ 行政区域の変遷(明治以後)
1871年(明治4年)7月 高槻藩が高槻県と改組。
・ 1871年(明治4年)11月 大阪府に編入される。
1889年(明治22年)4月 高槻村と上田辺村が合併し、島上郡高槻村(町村制)が発足。
1896年(明治29年)4月 三島郡が成立。
1898年(明治31年)10月 町制施行、三島郡高槻町となる。
1931年(昭和6年)1月 三島郡芥川町、清水村、磐手村、大冠村を編入。
1934年(昭和9年)9月 三島郡如是村を編入。
1943年(昭和18年)1月 大阪府下9番目に市制施行、高槻市となる。
1948年(昭和23年)1月 三島郡阿武野村を編入。
1950年(昭和25年)11月 三島郡五領村を編入。
1955年(昭和30年)4月 三島郡三箇牧村を編入。
1956年(昭和31年)9月 三島郡富田町を編入。
1958年(昭和33年)4月 京都府南桑田郡樫田村を編入。現在の市域となる。
2003年(平成15年)4月 大阪府下2番目に中核市へ移行。大阪府下の中核市移行は、当時中核市だった堺市以来7年ぶり。

◇ 歴代市長