当路線は
太平洋側と
日本海側を結ぶ重要路線という認識で早期整備が図られたが、田中による大規模
公共事業の
利益誘導、あるいは国家政策の私物化という批判も受ける事になった。その根拠の一つとして、当路線と練馬ICで直結する目白通りはそのまま
文京区目白台にある田中邸の前を通るため、「田中は自宅の門を左に曲がればそのまま選挙区に直行できる(三回曲がれば家に着く)」という
事実が指摘された
[実際には、目白通りは西落合一丁目交差点を右折する方向に繋がっているため、この表現は正確ではない。]。ただし田中は、1985年2月に
脳梗塞で倒れて政治活動や
日常生活が大きく制約されたため、全線開通後の当路線を通行した時は病気の
後遺症が残る状態だった。