日本のプロ野球の創成期は、職業野球と呼ばれ、世間からはまっとうな仕事と思われていなかった。白石も幾つかの大学からの誘いを断り職業野球入りを決めると、「何で身を売るんじゃ」と先輩から非難され広陵野球部を追放されている。なお、白石の巨人入団は当時の
市岡忠男代表からの誘いだった。一学年上の
門前真佐人が既に大阪タイガースと契約した後だったため、代わりに関係者に推薦されたとされる(諸説あり)。市岡直々のスカウトではなく、地元有力者からの誘いで、殺し文句は「アメリカに行けるんじゃ」だった。当時の花形である
六大学の
早稲田大学と
明治大学から誘いを受けていたが、その文句を受け、巨人入団を決めた。
巨人創成期の茂林寺キャンプでナインを奮い立たせ第一次黄金時代に貢献し、後年のV9では4年目から最終年までヘッドコーチ、二軍監督としてチームを支えた。広島では創設年から選手・監督として何度も存続の危機に見舞われたチームを救った。創設時の広島では唯一のスター選手で、観客はみな白石を見に行ったと言われる。