江戸時代中期以前においては、外国の優れた学術は
漢籍の形で中国から入ってくるのが一般的であったため、外来の学術研究は全て「漢学」と考えられてきた。ところが、
ヨーロッパの書籍から直接知識を得ようとする洋学(
蘭学)が出現するようになると、従来の学問(
日本固有の学術及び中国伝来の学術)はこれと区別する意味で「
皇漢学(こうかんがく)」と称されるようになる。ところが
本居宣長など国学や
神道を研究する人々は漢学(からまなび)こそ古来日本以来の精神を毒しているとこれを排する動きが強まり、「皇漢学」という呼び名も次第に廃れて国学と漢学は分離されるようになった。