大日本帝国憲法では
政党内閣を前提としていないので、政党党首以外の人物でも首相に就任することができた。したがって、政党出身でない首相候補の中には支持者の反対(
徳川家達)・主要閣僚候補の固辞(
井上馨)などの理由で組閣に失敗するという事態が時折発生したのである。なお、当時は殆どの時期で
軍部大臣現役武官制が存在し、そうでない時期も現役武官の起用が慣例化していたため、軍部の支持を取り付けるのに失敗して軍部大臣のなり手が得られずに組閣できない場合があった。たとえば、
清浦奎吾(
鰻香内閣)・
宇垣一成の例がある。