1512年2月2日、スペイン人の征服を恐れたアトゥエイは、バラデロの砦を攻撃し、スペイン軍に対して
ゲリラ戦の抵抗運動を展開した。しかし情勢利あらずと見て密かに島を脱出し、再起をめざしキューバに潜入。彼はキューバの同胞に来たるべき試練に備え団結しようと説いて回り、スペイン軍が上陸するとすぐに、アトゥエイの抵抗運動が始まった。彼の戦法は、スペイン軍をジャングル内深く誘い込み弓矢等で奇襲を掛けるというもので、アトゥエイの抵抗に悩まされたスペイン軍はバラコアに3ヶ月もの間、釘付けにあったと言う。
しかしアトゥエイは仲間に裏切られ、ベラスケスはアトゥエイを捕まえ反逆の罪に罰し
火刑にした。火刑の際、木に縛り付けられたアトゥエイは、スペイン人
神父ラス・カサスから「悔い改め
キリスト教に改宗すれば天国に行ける」と説かれ、キリスト教への改宗をするよう勧められる。アトゥエイは「天国にはどんな人がいるか?」とカサス神父にたずね、「キリスト教徒なら誰でも行ける」と聞かされた時、「お前達、みんないるのなら、そんな所に死んでまで行かなければならないとしたら、キリスト教徒になりたいとは思わない」とキリスト教の改宗に死ぬまで頑固拒否した。ハトゥエイの死は、キューバで最初の独立のための苦悩の殉教者として色んな伝説を生んだ。